片想いの離脱だけは

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好きだよ、愛してる。どんな言葉にしたら良いのか分からないのは、私の語彙力が乏しいからなのか、それとも、よく使われている言葉をチープだと感じているからなのか。

よく片想いをするが、勝手に熱がさめ、「好きなひと」という鎖から逃れたような、妙な達成感を覚えることがある。これは両想いから逃れるときも、追放されたときも同じで、付き合いが清算されたときの清々しさは、達成感に加え、解放感も与えてくれるから、とてもありがたい。

今年は例年より日焼けしてないなあ、と鏡を見たり、日焼け止めを塗ったりしながら、恋愛の達成感や解放感について考えている。とてもじゃないが彼氏いない歴3年だとは思えないくらい、真面目に考えているのだから、私はアホなんだろう。

「病院行ってくるから、お昼はババと食べてね」
娘に声をかけたあと、玄関を開けた瞬間に強い日差しが肌に刺さる。はあ……蝉がうるさい。夏の風物詩だと言われる蝉に殺虫剤を吹きかけて、最後にチカラを振り絞ったような「ジィーッ」ってなき声を終らせたい。わたしの世界から排除したい。コロッと地面に落ちて、サクッと消えてしまえばいいのに。

そんな、くだらない事をグルグル考えていたら病院のバスがきた。

「わたし○○出身じゃないわよ、首里の出身よ」
「わたしは結婚して那覇にきたさ」

お年寄りたちが雑談に花を咲かせている。冷房が効いた車内で、ふと思った。

あれ?恋愛も、蝉に対する感情も、お年寄りたちの雑談も。これらは、何らかの世界から排除するもの/されるものの話しで、でも自ら抜け出したように、自分の意志の強さを大きく表現することもできるようだ。そして、何か比較する者や場所を用意すると、もっともっと強い意志を持ったように見せることができる。

ああ、コレって恋愛だけじゃない。蝉に対する感情だけでもない。ましてや井戸端会議だけではない。ネット上や本の中で描かれている「離脱と排除」のお話しだ。

片想いの離脱も存在するんだ。わたしは、片想いの離脱をするくらいなら、自身のコミュニティから排除されたい。無意識レベルで良い。意図的なら凄く嬉しい。片想いの離脱だけはしたくない、と思った。

今週のテーマは…

今週のテーマは、「夢」でした。
夜寝るときの夢だったり、将来の夢だったり、それぞれの書き方がありましたね。

戸村さんの「夢の連鎖」では、自身のもつ症状と夢の関係性を「ぶよぶよ」という上手い表現で表していたと思います。

上原さんの「夢を語るのは苦しい」では、夢を語る側、語らせる側のそれぞれの切り口から、半強制的に夢を語らされることの苦しさを、実体験から表現していましたね。

私たちばなはと言うと、実際に見た夢とその感想を淡々と記しただけの文章でした…。

さて、来週も粛々と更新する予定ですので、どうぞお楽しみに!

夢を語るのは苦しい

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小さい頃からいっぱい夢を見てきました、小学生のときは、弁護士、魔法使い、漫画家、獣医、デザイナーになりたいと思っていました、しかし、夢を語る機会は、小学生のころより増えた気がしますし、夢以外に、自分のことを話す機会は確実に多くなりました、わたしはシングルマザーなのですが、シングルマザーが制度利用をするとき、自分の現状を話さないといけません、児童扶養手当、ちまたで母子手当と呼ばれている制度を使うなら、離婚した理由とかを話します、わたしが1番イヤだと思ったのは高等職業訓練促進支援金の窓口対応でした、大学に合格した証明書を持っていったし、必要書類なのに、窓口で夢なのか、目標なのかを聞かれるんです、制度の申請だから当たり前なのかもしれませんが、何か目標があるから大学に行くのであって、何もないのに行くような年齢ではありません、それなのに、同じ話を何度も何度も聞かれます、きっと、他人の夢や目標を聞く立場にある人達は、自分が他者に評価を下すのが日常なのかもしれませんが、行政窓口や色んな場面で自分の状況を話し、夢や目標を酷評されたり、ときには良い評価をされたりする、評価される側の気持ちを考えたことはないのでしょう、しかしながら、そういったことを考えないのは、どうかと思います、就活で失敗した若者の自殺が一時期問題になりましたが、社会的な立場が弱い、何らかのスティグマを持っている人達も自分と夢や目標を語る機会は少なくないのです、だけど制度利用に繋がらないことだってあります、100社落ちた死ぬと、頼るところが少ない中、必死で紡いだ言葉を否定される、何が違うのでしょうか、状況は違いますが、否定され続けることで、意欲を失い、夢や目標を失い、社会的な居場所を失います、これだけ貧困ブームになっているにも関わらず、当事者が語りを繰り返すことの負担まで議論にならないのは、当事者サイドの怠慢なのか、それとも支援者サイドが鈍感なのか分かりかねます、でも、こうした些細な負担を軽減していけば、今よりは少しだけマシになるのでは?と考えています、ひとのストーリーや夢に価値がつくときだからこそ、そうした語りが個人にどのような影響を与えるのか、いま一度、考えてほしいと思っています。

夢の連鎖

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毎朝起きる時、私は必ず何らかの夢のまっただ中にいて、時折アラームで起床してもその世界観から抜け出せないことがある。

夢が無意識の願望であるとか、日中残滓であるだとか、その理由はどうでもいい。

一時期SNRIの薬を飲んでいた頃、毎日母親の夢を見ていた。
怒られる夢であったり、優しくされる夢であったり、或いは主治医が「お母さんに言いたいことを全部言いなさい」と指示するのだが、私が何か言おうとした瞬間、目が覚めた。


こんな話を聞いたことがある。

実父に毎晩性的暴行を加えられたいた女性が、毎晩その悪夢を見るのだという。

それを聞いた精神科医が、「夢の中でお父さんを殺したら?」と提案すると、彼女はそれに成功し、悪夢は消えたという。


私の主たる精神疾患である解離性障害の症状・離人感が一番酷かった時期は、何が現実で何が夢なのか、区別がつかなくなっていた。起きていても世界はまるでぶよぶよとした半透明の膜に覆われているようで、私はいくらそれから抜け出そうとしても、膜を破れないのだった。

その時期に見る夢は、現実の感覚とまったく質感が同じだった。現実味がなく、世界は相変わらずぶよぶよとした半透明の膜の向こうで、自分が、自分の足で立ち、心臓が動き、「生きている」という実感までもが曖昧模糊としていて、寝ても覚めてもその状態だった。


夢は連鎖すると思っている。内容や舞台や設定の問題ではなく、同じ脳が見せているという意味で。それはポジティブなものであれネガティブなものであれ、夢は夢と割り切り、ぶよぶよとした半透明の膜にかすり傷くらいは負わせたい今日この頃。

せめて夢の中くらい

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この間、夢を見た。

遠方に住んでる友達が死んじゃう夢だった。

夢を見ながら、それを冷静に分析してる自分がいて、「起きたらあいつに連絡して、こんな夢見たって笑い話にしてやろう」なんて考えていた。

 

朝起きて、メールしようと思って、やっと気付いた。

そいつ、もう2年も前に死んでるんだよね。

 

持病があって、人より長生きできないことはわかってたけど、こんなに早く死ぬなんて思ってなかった。

死に顔見ても、全然実感湧かなかった。

 

でも、夢を見て、初めて実感した。

もうあいつはいない。死んだんだって。

 

誰かの死を、こんな形で受け止めることがあるなんて、知らなかった。

 

眠りにつくとき、ときどき思う。

せめて夢の中くらい、生きててくれよ、って。

 

そう思うたびに悲しくなるけど、そう思うようになったってことが、死を受け入れた1番の証拠なんだろうなとも思う。

今回のテーマは……

というわけで今回のテーマは「家族」でした。

 

たちばなさんの、定義から始まる家族の在り方の模索、家族の形は家族の数だけ存在するという主張には大いに同意です。特にLGBTの問題が今後取り沙汰されると、これは非常に大きな論点になると思います。

 

上原さんの娘さんとのダイアログはその正反対で、自分の身近な「家族」を感じさせてくれて、「本当にそれぞれだな~」と実感しますよね。この記事は「母子」という視点から読むとまた見え方が違うかもしれません。

 

わたくし戸村は……頑張って書いたつもりでしたが、何だか自分語りが多い感じがして反省してます(苦笑)。

 

ではでは、次回もお楽しみに! どんなテーマか、乞うご期待。

かいわ

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おはよう。パンとヨーグルトにする?ご飯と納豆にする?ごはんとなっとう。今日は何時間目まであるの?きのーといっしょ。水筒は?ランドセルのとこ。アイスティーとお茶どっち?うーん、きょうはアイスティーにする、こおりいっぱいいれてね。はいよ、ほら早くご飯食べないとお友達が迎えにくるよ!かぁか、チューは?納豆臭いからホッペにしよーね。はーい。いってらっしゃいのチュー。今日も頑張ってね。はーい。

おかえり〜!帰ってきたら、おかえりじゃなくてただいまでしょ。あ〜、そうだった、ただいま、あつーい!あっちの部屋、クーラーついてるよ。ありがと〜。こらっ!またYouTube見てるの!?宿題は、いつやるの?うーん、やるよ。だから、いつやるの?うーん、ろくじ。6時までYouTube見るの?うん。分かった。

おやすみ。かぁか、誰かとラインしてて。分かってるよ。はーい、おやすみなさい。

思いつく限りの会話を書き出してみた。
「家族」というワードから、会話を思い出して記述する際、誰との会話を書くのだろう。ひとそれぞれだと思う。でも、「家族」以外の第三者が記述しないのであれば、自分フィルタにかけてしまいそうだ。自分フィルタがかかったとき、誰との会話が重視されているのか、どうして、そのひと(家族)との会話が多いのか、ちょっぴり気になった。