夢を語るのは苦しい

f:id:yukakouehary:20160713172330j:image

 

小さい頃からいっぱい夢を見てきました、小学生のときは、弁護士、魔法使い、漫画家、獣医、デザイナーになりたいと思っていました、しかし、夢を語る機会は、小学生のころより増えた気がしますし、夢以外に、自分のことを話す機会は確実に多くなりました、わたしはシングルマザーなのですが、シングルマザーが制度利用をするとき、自分の現状を話さないといけません、児童扶養手当、ちまたで母子手当と呼ばれている制度を使うなら、離婚した理由とかを話します、わたしが1番イヤだと思ったのは高等職業訓練促進支援金の窓口対応でした、大学に合格した証明書を持っていったし、必要書類なのに、窓口で夢なのか、目標なのかを聞かれるんです、制度の申請だから当たり前なのかもしれませんが、何か目標があるから大学に行くのであって、何もないのに行くような年齢ではありません、それなのに、同じ話を何度も何度も聞かれます、きっと、他人の夢や目標を聞く立場にある人達は、自分が他者に評価を下すのが日常なのかもしれませんが、行政窓口や色んな場面で自分の状況を話し、夢や目標を酷評されたり、ときには良い評価をされたりする、評価される側の気持ちを考えたことはないのでしょう、しかしながら、そういったことを考えないのは、どうかと思います、就活で失敗した若者の自殺が一時期問題になりましたが、社会的な立場が弱い、何らかのスティグマを持っている人達も自分と夢や目標を語る機会は少なくないのです、だけど制度利用に繋がらないことだってあります、100社落ちた死ぬと、頼るところが少ない中、必死で紡いだ言葉を否定される、何が違うのでしょうか、状況は違いますが、否定され続けることで、意欲を失い、夢や目標を失い、社会的な居場所を失います、これだけ貧困ブームになっているにも関わらず、当事者が語りを繰り返すことの負担まで議論にならないのは、当事者サイドの怠慢なのか、それとも支援者サイドが鈍感なのか分かりかねます、でも、こうした些細な負担を軽減していけば、今よりは少しだけマシになるのでは?と考えています、ひとのストーリーや夢に価値がつくときだからこそ、そうした語りが個人にどのような影響を与えるのか、いま一度、考えてほしいと思っています。