ダサい愛なんていらないもん

 

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わたしの服は、いつもどこかダサい。自分のファッションセンスに絶望寸前だ。
三十路までのカウントダウンが始まったと同時に、童顔メイクに目覚めてみたり、チェック柄の子供っぽい服を着てみたり、色いろ頑張っているもののダサくなってしまう。

いや、むしろ「ダサい」という表現を優しく感じてしまうほど、周囲から「イタイ」と、思われていそうだ。

つい先日、わたしのファッションセンスかよ? と思ってしまうような、ダサくて、イタイ「愛」があることに気づいた。

わたしの元夫は、暴力団組員なのだが「子供に繋がるから」「子供のため」という、子供おもいの父親のようなセリフを使い「シノギに繋がりそうな人を紹介して」と、言ってくる。

元夫がわたしに望んでいることを言い換えると、組織犯罪の片棒を担いでくれ、と言っているようなものだ。

別に犯罪の片棒を担いで欲しいわけじゃないのかもしれないが、わたしがわたしの知り合いを反社会的な人に紹介しようと思うわけがない。

最近、この件で捻くれていた元夫の横暴さに耐えきれず、娘に、元夫とのやり取りを見せて、説明した。

すると娘は「それって、わたしのためにならないじゃん。なんで、そんなこと分からないんだろ?」と、少し怒っていた。

わたしは、元夫に「わたしに全ての責任を押し付けるような態度が負担になっている。それが続くようなら、娘は、あなたが引き取ればいい。わたしを当てにしないでほしい」と、何度も、何度も伝えてきた。娘が生まれてからずーっと、同じ話をしてきた。

だけど、残念なことに元夫には、全く伝わっていない。

わたしは7年間、我慢に我慢を重ねてきたけど、娘を理由にして、わたしに不快感や恐怖感を与えるような元夫の発言を、心底イヤだと思った。

もう限界だし、わたしが思ってること、感じたこと、全て話してみよう。

わたしが話終わると、娘が俯きながらこう言った。

「わたし、生まれてこなければよかった。かぁかにいっぱい苦しい思いをさせて……ごめんなさい」

生まれてきてくれて、嬉しいし、愛してるよ。娘が、わたしを苦しめているわけじゃない。私に負荷をかけるのを「子供のため」だと、平気で言ってのける元夫はキライだ。ああいう考え方が娘ちゃんに「ごめんなさい」って、言わせているのに。1ミリも伝わらない。

きっと元夫は、娘に何でも話しているわたしを憎むだろう。というよりは、「わたしが娘を洗脳してる。だから、俺は、娘から嫌われるんだ」と思うはず。つまり、全てわたしの責任で、元夫に悪いところなど無いのだ。

この世に、そんな都合のいい愛が存在するのか。愛と責任は同居しているのであって、ひとりに負荷をかける関係に愛は存在しない、と思う。

 

そんなダサい愛を注ぎ、注がれるくらいなら、自分と娘だけを愛したい。

 

 

ふと、自分の足もとを見て「ふふっ、今日のサンダルと靴下、元夫の愛みたいだな」と思った。

 

どう足掻いてもオシャレだとは言えない組合せ。

 

そんなダサい愛なんて無くても生きていけるし、ダサい愛なんていらないもん。

 

(上原由佳子)