「風俗嬢は人間じゃない」と思うようになるまで

 野菜チャンプルーにポークを入れる瞬間と、女性を性風俗店に紹介するときの感覚って、私の中では、なんとなく似ている。

 とはいえ、あくまでもポークは生肉で、人間ではない。つまり、私が「風俗嬢は人間じゃない」と思うようになった過程を、私なりに、可能な限り言葉にしてみたい。

 私は、風俗嬢を人間だと思っていなかった時期がある。 その思いに至るまでに、いくつかの段階があった。大雑把に分けると3つ。

 ひとつめは、風俗嬢や性風俗産業に従事する予定の女性と知り合う、初期段階。このときは、とくに何も考えず、未知の世界に足を踏み入れた高揚感でいっぱいだった。また、スタッフやスカウトの立場から自身の収入や生活を安定させる努力もしていた気がする。

 ふたつめは、自身の収入や生活が安定してくると、女性側の不安定さがダイレクトに見えてくる。女性の愚痴を聞き、解決策を考える。問題を解決するよう促すと「お前に稼がせてもらってるわけじゃない」「だったら、お前が働け!」など、罵倒されて終了だ。この第二段階で女性への不満や不信感が出てくる。

 たとえば、ソープに行ける容姿じゃない女性を無理やりねじ込んでみたり、生活困窮している女性のバックや雑費の交渉をして待遇を良くしたりする。しかし、こちらの期待は間違っていたと気付かされる。

 無理やりねじ込んだにも関わらず「客付きが悪い」とキレられたり、待遇を良くしたのにホストやヒモ、パチンコ、スロットに使っていたり……。例を挙げるとキリがない。私が思うに、この第二段階を乗り越えられない人は、業界で生きていけない。ようするに、ここが「別の業界に行く」か「業界に残る」のか分かれ道であり、「ふるい」のような役割を果たしている。

 みっつめは、「業界に残る」選択した者は、性風俗産業に従事する女性、風俗嬢に対して感情を抱かなくなったり、バカにしたりする。もちろん、例外があるのは知っているが、大多数の人は感情を抱かなくなるだろう。また、同業者との間ではオモシロ話としてネタにするくらいだ。

 私が半径5メートルで聞いてきた差別的な言葉は「バイタ」「ほーみー(まんこ)みせやー(見せる)いなぐ(おんな)」など。ネットで炎上する「ブス、デブ、バカ」は、彼女たちを罵倒するための基本的な語彙だ。これらを上回るほどバカにした視点から、彼女たちを見ていた。

 私は、これら3つの段階を得て「風俗嬢は人間じゃない」と、思うようになった。

 このブログ記事は、多くの当事者(女性)を傷つけるかもしれない。「やっぱりクズだな」とか、「やっぱり搾取する側なんだ」との感想だったかもしれない。しかし、そういったスティグマを生みたいという意図で書いたわけではない。(傷つけてしまった皆様、深くお詫び申しあげます……)

 というのも、3つの段階にはスタッフやスカウト(主に男性)が、女性に対して「絶望」していく姿があるからだ。

  彼らがなぜ「絶望」するのか、私はなぜ「風俗嬢を人間じゃない」と思っていたのか。私なりの答えを出すなら、いつかは風俗を卒業して欲しい、あくまでも「通過点」だと考えてほしい、と願っているからだと思う。

 最後に、一般の読者の方にむけて2つだけ。ひとつは、このブログで用いた言葉について。色んな世界に共通言語があるように、「搾取する側」とされている世界にも独自の言葉があると知っていただきたい。あれらの言葉の裏側には、たくさんの「自分の力では救えなかった女性」がいる、と理解してほしい。もうひとつは、性風俗産業に従事する女性だけの声を大きくしていだけでなく、こちらへの理解を深めた上で、より高度な議論を展開していただきたい。

 余談だが……私の家のチャンプルーには、何が入っているのか分からない。ケンタッキーチキンと石垣牛が一緒に入っていたり、オクラとワカメの豆腐チャンプルーになっていたり……。カオスなチャンプルーの中にポークを入れるんだから、少しばかり抵抗はあったものの、家事をするようになって数年で慣れてしまった。

 きっと、私にとってのスカウト生活は、カオスなチャンプルーを食べないと生きていけないのと同じように、感情を殺さないと自分が生きていけなかっただけなのかもしれない。そして、私は、この視点が何か大切なことを見落とさないために、重要な視点だと考えている。