愛と優先順位

f:id:tcbn91:20160702095151j:plain 両親は、無償の愛を惜しみなく注ぎ、私を育ててくれた。このことに異論はない。愛されて育ったという実感はあるし、両親から愛されているという自信もある。
 しかし、私の兄や姉は、私よりも愛されている。そう、愛には優先順位があるのだ。
 兄弟のほうが愛されている。そのことに気が付いたのは、小学生の頃だったと思う。何ら特別なことがあったわけではない。ただ、日常的な事象の積み重ねの結果、そう思い至るようになったのだ。例えば、同じ要求をしても、私は許されないのに、兄弟は許されるとか、そういうことの積み重ね。
 子供の頃は、不条理だと思ったし、そのことに対して怒りすら覚えていた。それなりに寂しく思ったし、自分は必要ないんじゃないかと悲しくもなった。とはいえ、愛されているという一応の実感はあったので、親に対する反抗に走るわけでもなかった。
 大人になった今どう思うかと言うと、「仕方がない」の一言である。
 両親だって人間なのだ。ごく普通の、良いことも悪いこともする、人間なのだ。
 無意識のうちに、「あの子よりこの子が好き」「あっちよりこっちが大切」なんていう優先順位をつけるのは当たり前のこと。そう思うようになった。
 最初にそう思ったときには、とても悲しい気持ちになった。私は愛されなくて当然だったのかと。私が可愛げのない子供だったから、愛されなかったのだろうかと。
 けど、自分がメンタルの病気を抱えるようになって、親に初めてそのことを打ち明けたとき、驚くほど温かく、優しく受け入れてくれて、愛されてないわけじゃないんだと気付いた。むしろ、十分すぎるほどに愛されていると。
 愛には優先順位がある。しかし、それは愛する側が聖人君子じゃない以上仕方がないことであって、それは悲しむことでもなんでもないのだと、それ以来は思えるようになった。
 もちろん、時には腹が立つこともある。何故こんなときにまで兄を優先するのか、何故こんなときでも姉を大切にするのか、と。でも、腹が立つのも仕方がないこと。
 愛なんていう言葉にすると、まるで高尚で、平等に与えられるもののように聞こえる。けど、愛を与えるのは神様じゃなくて人間。ならば、そこには不平等があっても仕方ない。
 不平等がある、優先順位があるイコール愛されていない、というわけじゃない。優先順位はあるけれど、それでも愛されているのだと思う。
 子供のころは受け入れられなかったけれど、今ならわかる。親は親なりに精一杯に私を愛してくれている。
 それが優先順位的には下位でも、愛であることに変わりはないのだから、良しとしようじゃないか。