結婚式を挙げたくない理由

私には、いわゆる婚約者というのがいる。

結婚の時期はまだ未定。

というのも、私の進路がどうなるか決まっていないせいだけど。

 

結婚といえば、やはり結婚式である。

地元は華やかな結婚式を挙げる人が多く、私の親戚たちもご多聞に漏れず華やかな式を挙げている。

 

しかし、私はあまり結婚式を挙げたいとは思っていない。

なぜなら、呼べる友達がほとんどいないからだ。

どんなにがんばっても、片手で事足りるほどしか思いつかない。

 

だから結婚式を挙げたくない。

なんて子供っぽい理由、と思われるかもしれない。私も子供っぽいと思う。

でも、そう思ってしまうんだから仕方ない。

失敗

 何もかも上手く運ぶ自信があった。わたしの言うことを聞いていれば金には困らないよ、と思っていた。

 

 でも、全てダメになった。妊娠中は恐喝まがいのことをして、なんとか生計を立てていた。そんなのが延々に続かないことくらい知っている。だけど、期待していた。また、新しい話が舞い込んでくるのではないか、と。

 

 そんな都合のいい話は無かった。わたしに残されたのは、バツがついた戸籍と子供だけだ。全ての期待が裏切られたとき、自信と金を失い、わたしは自分の愚かな失敗を認めた。

「風俗嬢は人間じゃない」と思うようになるまで

 野菜チャンプルーにポークを入れる瞬間と、女性を性風俗店に紹介するときの感覚って、私の中では、なんとなく似ている。

 とはいえ、あくまでもポークは生肉で、人間ではない。つまり、私が「風俗嬢は人間じゃない」と思うようになった過程を、私なりに、可能な限り言葉にしてみたい。

 私は、風俗嬢を人間だと思っていなかった時期がある。 その思いに至るまでに、いくつかの段階があった。大雑把に分けると3つ。

 ひとつめは、風俗嬢や性風俗産業に従事する予定の女性と知り合う、初期段階。このときは、とくに何も考えず、未知の世界に足を踏み入れた高揚感でいっぱいだった。また、スタッフやスカウトの立場から自身の収入や生活を安定させる努力もしていた気がする。

 ふたつめは、自身の収入や生活が安定してくると、女性側の不安定さがダイレクトに見えてくる。女性の愚痴を聞き、解決策を考える。問題を解決するよう促すと「お前に稼がせてもらってるわけじゃない」「だったら、お前が働け!」など、罵倒されて終了だ。この第二段階で女性への不満や不信感が出てくる。

 たとえば、ソープに行ける容姿じゃない女性を無理やりねじ込んでみたり、生活困窮している女性のバックや雑費の交渉をして待遇を良くしたりする。しかし、こちらの期待は間違っていたと気付かされる。

 無理やりねじ込んだにも関わらず「客付きが悪い」とキレられたり、待遇を良くしたのにホストやヒモ、パチンコ、スロットに使っていたり……。例を挙げるとキリがない。私が思うに、この第二段階を乗り越えられない人は、業界で生きていけない。ようするに、ここが「別の業界に行く」か「業界に残る」のか分かれ道であり、「ふるい」のような役割を果たしている。

 みっつめは、「業界に残る」選択した者は、性風俗産業に従事する女性、風俗嬢に対して感情を抱かなくなったり、バカにしたりする。もちろん、例外があるのは知っているが、大多数の人は感情を抱かなくなるだろう。また、同業者との間ではオモシロ話としてネタにするくらいだ。

 私が半径5メートルで聞いてきた差別的な言葉は「バイタ」「ほーみー(まんこ)みせやー(見せる)いなぐ(おんな)」など。ネットで炎上する「ブス、デブ、バカ」は、彼女たちを罵倒するための基本的な語彙だ。これらを上回るほどバカにした視点から、彼女たちを見ていた。

 私は、これら3つの段階を得て「風俗嬢は人間じゃない」と、思うようになった。

 このブログ記事は、多くの当事者(女性)を傷つけるかもしれない。「やっぱりクズだな」とか、「やっぱり搾取する側なんだ」との感想だったかもしれない。しかし、そういったスティグマを生みたいという意図で書いたわけではない。(傷つけてしまった皆様、深くお詫び申しあげます……)

 というのも、3つの段階にはスタッフやスカウト(主に男性)が、女性に対して「絶望」していく姿があるからだ。

  彼らがなぜ「絶望」するのか、私はなぜ「風俗嬢を人間じゃない」と思っていたのか。私なりの答えを出すなら、いつかは風俗を卒業して欲しい、あくまでも「通過点」だと考えてほしい、と願っているからだと思う。

 最後に、一般の読者の方にむけて2つだけ。ひとつは、このブログで用いた言葉について。色んな世界に共通言語があるように、「搾取する側」とされている世界にも独自の言葉があると知っていただきたい。あれらの言葉の裏側には、たくさんの「自分の力では救えなかった女性」がいる、と理解してほしい。もうひとつは、性風俗産業に従事する女性だけの声を大きくしていだけでなく、こちらへの理解を深めた上で、より高度な議論を展開していただきたい。

 余談だが……私の家のチャンプルーには、何が入っているのか分からない。ケンタッキーチキンと石垣牛が一緒に入っていたり、オクラとワカメの豆腐チャンプルーになっていたり……。カオスなチャンプルーの中にポークを入れるんだから、少しばかり抵抗はあったものの、家事をするようになって数年で慣れてしまった。

 きっと、私にとってのスカウト生活は、カオスなチャンプルーを食べないと生きていけないのと同じように、感情を殺さないと自分が生きていけなかっただけなのかもしれない。そして、私は、この視点が何か大切なことを見落とさないために、重要な視点だと考えている。


食べるための料理、生きるための料理

小さい頃から、料理は好きだった。
母親の手伝いをするのが好きで、いつの間にか料理を覚えていった。
母親が仕事で遅くなる日には、代わりに食事の支度をした。

それがいつの間にか、いや、実家を出てからというもの、ほとんど料理をしなくなった。

理由は、単純。
食べてくれる人がいないから。

その時々の彼氏と同棲すると、料理をするようになる。
別れて独り身になれば、またしなくなる。
その繰り返しだ。

私は料理が好きなんじゃなくて、私の料理を食べてくれる人がいることが嬉しいだけなんだと思う。
彼らは私の承認欲求を満たしてくれるから。

自分の料理を食べてもらうと、まるで自分が認められたような気になる。
たかが料理だけれど、きっといろんなことの積み重ねで、そう思うようになってしまったんだと思う。

食べるための料理をするのは簡単だ。ただ作ればいいだけ。
でも私の料理は、食べてくれる相手がいないと成立しない。

私は私が食べるために料理をすることはない。
その代わり、私は生きるために料理をする。

今週のテーマは……

こんにちは!上原です。

今週のテーマは「離脱」でした(๑˃̵ᴗ˂̵)و

 

たちばなさんの『幽体離脱できたら、大好きな人に会いに行こう。』は、終始キュンキュンさせられました。私も幽体離脱できるなら、大好きな人に…………いない(涙目)。

 

干された心に潤いを与えてくれるような、お話でしたね。

 

 

戸村さんの『ドロップアウト、フェイドアウト』は、ちょっと涙が出そうになってしまいました。ロマンチックに描かれがちな「離脱」を反省的に書いているとこが好きです。

 

さて、上原ですが……。

「離脱」の描き方について書きたかったのですが、逃げに走りました(苦笑)。考えれば、考えるほど「離脱」したはずなのに「離脱」も「排除」されていないのが1番悲しいし、切ないな、と。

 

というわけで、今週のテーマは離脱でした«٩(*´ω`*)۶»

ドロップアウト、フェイドアウト

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「離脱」と聞いて真っ先に頭に浮かんだのは全日制高校を退学したことだった。

まあその後NYの大学とかもドロップアウトしてるんだけども。

何だろう、最初に「レール」から外れた、っていう「ドロップアウト原体験」になってるのかな。


高校、大学、バイト、某コミュニティ、等々、よく考えると私は結構離脱しつつ生きてきた。
その原因はすべてメンタルの問題なんだけどね。


全日制高校は私立で、中高一貫だった。哀愁のチバラキ(自宅)から遠い都会にあって、通学が大変だった。友達は少なかったし、男子とばっかつるむからビッチ認定されたりしてた(誤解です)。中学時代は部活に打ち込んでた。高校で不登校になってからは、「おまえさん先生」という命の恩人に出会えた。

でも今も付き合いがある生徒は、中学の時にマンガが縁で知り合った同級生だけだ。

私の学年はその学校的に異例だったらしくて、私が辞めた後、つるんでた男子達が六人、立て続けに退学した。

最後に退学した奴が、卒業文集にこんなことを書いたそうだ。

「俺や、戸村サキや、○○や××も、この学校の生徒でした」

でも、無駄なんだろうな。

うちらの学年は、学年全員と教員で、成人式のパーティをやったらしい。私は当時NYにいたし、親に聞いても特に招待状の類はこなかったという。

「ハコ」からドロップアウトすると、そのハコの人間の記憶からも「フェイドアウト」する。

例外はあるだろうけど、私はこんな感じで、今もどこかの誰かの中からフェイドアウトしながら、そして私自身は新しい人々と出会いながら、生きている。

幽体離脱できたら、大好きな人に会いに行こう。

幽体離脱
噂には聞いたことあるけど、1度もしたことないし、経験者にも出会ったことがない。
だから本当にそんなものがあるのかはわからない。

でも、あったらいいなって思ってるんだ。

もし幽体離脱できたら、ふわふわと空を飛んで、大好きなあの人に会いに行きたい。
私と一緒にいないときのあの人は、どんな顔をしてるんだろう。どんな風に笑っているんだろう。
それを見に行きたいと思う。

どんなにがんばっても、人間っていうのは目の前にあるものしか目にすることができないから、あとは写真みたいな記録媒体とか、想像力に頼るしかないんだよね。
だから、もし幽体離脱できたら、私の知らないあの人を知ることができる。

それはもしかしたら見るべきじゃないものなのかもしれないけど、それでも見たいと思ってしまうくらいには、あの人のことが大好きなんです。